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大連・・・ [旅]

昨年 『坂の上の雲』が放送されて・・・旅順など今まで解放されていなかった場所も昨年の暮れから官学出来るようになった・・・二百三高地など とても設備が綺麗になった・・・(10年前にいらした方によると・・・びっくりするほど変わったそうだ・・・006.JPG
203高地に落ちていた弾丸や薬莢を溶かして作られたもの。先端部は文革時に破壊されたが、現在は修復されています。

ちなみに、この横に立つ中国人が作った案内板には、
「これは日本軍国主義が外国を侵略した犯罪の証拠と恥辱柱となっている。」と書かれています。

旅順の203高地。日露戦争最大の激戦地である。日本兵17000人の命が奪われた。日本兵は206mあったこの山を最も急峻な方向(画面左側)から上っていったそうで、206mあった山が砲弾で3m削られてしまったというのだから、無謀極まりない。国権が人権に優先する社会の姿を見せつける現場に立って改めて戦慄を覚える。戦争の実相を現地で知るのは重い体験である。乃木希典(のぎ まれすけ)大将は、この旅順の戦闘で次男を戦死させた


015.JPG017.JPG
川島芳子旧邸   旅順の街の中央だろうか、「蕭親王旧宅」の前で不意にバスは止まった。赤く塗った3階建は一見コンクリート造りに見えるが、木造モルタル造り。西洋風の入口の柱を見れば木の味わいが確かに感じられる。蕭親王は愛親覚羅家の皇族で、清2代目皇帝ホンタイジの家計だという。

 川島芳子は権力を間近で見ながら生きた、蕭親王の娘である。日本の川島浪速に養女に出された男装の麗人として知る人が多いのではないだろうか。しかし、満州事変・日中戦争という不幸な時代を諜報員として、生き、戦後、漢肝(かんかん・売国奴)として中華民国に射殺されるという、時代に翻弄された女性でもあった。

でも 修復前で あまりにもボロボロで気の毒になってしまった・・・

水師営会見所001.JPG
旅順の戦いの終止を、酒を酌み交わしながら調印した建物に出る。ロシアの将校たちと日本帝国の将校たちがニレの木の根元で酔っ払った顔で写されている写真をご覧になった人は多いだろう。そのニレの木も接ぎ木して庭に残されている。屋根には草が生えている。日露戦争当時、ここは野戦病院として使われていた。もちろん接収されて。

 最近まで劉さんという農民が住んでいた10畳くらいの部屋が3間ある横長の建物である。これを日露戦争当時の姿に復元し、中学生などが歴史を学ぶ現場とし日本からの観光客も呼び込もうというのである。現に満鉄の所蔵品を売る店が併設されており 関東軍の軍人が使用した満鉄の腕章と、満州国中央銀行が発行していた紙幣を販売していました。




満鉄(満州鉄道)が凄く力を発揮していた場所・・・大連ヤマトホテルは 昔は 本当に素敵だったんだろうな・・・
空港から近しし・・・凄く広大な場所ではないので 観光がとても楽ちん・・・毎日 ゆっくり出来た・・・

とてもラッキーだったのは スイッシュホテルの立地が最高に良かったこと・・・
そのホテルは8Fがロビーになっていて その下の階には マイカルが入っていて 9時から21時まで 食料品も購入でき ホテルの目の前に  とても大きな公園(労働公園)があり・・・到着した日には 歌謡ショーがあるらしい・・・舞台が出来ていました。公園には アカシアの花がいっぱい咲いていました。 木に藤の花のような白い花が咲いています・・・とても甘い香りがします・・・食べても美味しいそうです・・・だから 美味しいはちみつがとれるのですね・・・

とりあえず 日本人街・・・これが優雅です。。。 満鉄の職員はとても優雅な生活が送れたみたいです。

夜は ライトアップされた街並みがきれいです・・・中国ですが 中国にしてはセンスの良い綺麗な場所でした・・・ホテルの周辺は・・・

夜は買い物などをして・・・友人はマッサージが趣味なので・・・部屋に呼んで・・・70分・・・3000円で全身を・・・してもらっていました 女性 男性と選べます・・・私も一度だけチャレンジ・・・イケメン希望ってとんでもないのが来ました・・・可笑しくって笑いが止まらなかった・・・

今回は 友人ともいろんな話も出来・・・本当に嬉しかった・・・楽しかった・・・感謝の旅になった・・・

参加者が11名だったので・・・ほとんどワンテーブルに11種類以上の中華料理が並び・・・食べる・・・そんな昼と夜でした・・・朝食は 5つ星なので・・・美味しかったです。

動画を撮るようになったので・・・フォトが本当に少なく・・・また 50枚ほど・・・絵はガキを購入(それですべてが分かる)したので・・・それを眺めて ニコニコします・・・


追伸 ・・・今日は 社長に話したら 告別式に出てきて仕事は休んで良いと言われたので・・・ 2時間だけ仕事をして・・・親戚身内で・・・叔母とのお別れを してきました。23名の従妹・・・年をとりましたが・・・昔 栗の家に 孫全員集合していたので・・・懐かしく・・・いっぱいお話できました。
栗には 兄が3人います・・・叔母は3女でしたが 栗の跡取りになり 母たちの両親も一緒に生活していました・・・おじいちゃまは99歳まで元気でした・・・
大家族での生活でしたが・・・子どもたちは 怒られた記憶がないそうです・・・本当に 本当に優しい叔母でした・・・って母の姉妹はみんな 一歩下がっておとなしく優しいのです・・・

え・・・私は誰に似ているって・・・  きっと私は 瞬間湯沸かし器のように怒りだす・・・父方に 変な所が似てしまったようです・・・栗の一家では・・・異質のタイプと言われています・・・

私は普通だと思うのですが・・・  変わり者と言われています・・・

焼場も 特別室で戒名も凄く長かった・・・お花もいっぱいでした・・・叔母に慰霊のフォトは凄く素敵でした。


従妹の子に・・・ひとり政治家が誕生しましたが・・・今大変だと・・・少しだけ早く仕事に向かいました・・・
http://kurishita-zenko.main.jp/index.html




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コメント 5

けむり

旅から帰ったらご葬儀で、本当にお疲れ様でした。

でも、いろいろな人たちと親交を深められたのですね。
寂しいけれど立派なご葬儀で送ってあげられてよかったですね。

大連のフォト、とっても素敵です。
戦争の傷跡がまだいっぱい残っているのですね。
川島芳子旧邸、興味深く拝見しました。

マッサージ担当のイケメン、どんな人だったのか、見たかったな~(笑)



by けむり (2010-06-02 21:40) 

サリー

イケメンと言ってはいけないイケメンでした・・・もう 可笑しくって お腹が震えるほど・・・

そう 例の集まりは・・・鈴木さんのイタリアンで・・・7月31日らしいですね。

by サリー (2010-06-03 06:24) 

けむり

7月31日、サリー様は行かれそうですか?
私は今のところ大丈夫です。
たくさん集まってくれるといいですね。
by けむり (2010-06-03 07:55) 

ハローディーン

サリーさん、
旅の余韻が残る中、お通夜、告別式と大変でしたね。
お疲れ様でした。

身近な方が亡くなられるのは本当に寂しいものです。
しばらくお会いできなかった方たちと再会されて・・・その方たちの素晴らしさを再認識されたのですね。

栗のお母様のご冥福をお祈りしたします。

7月31日の予定だったクラス会・・浜島先生の都合で違う日になるそうです。
場所は鈴木さんの所と決定だそうですが。。。。
私、7月は香港に行く予定でいます。
日にちによっては出席できないかも。。。

by ハローディーン (2010-06-03 15:23) 

サリー

叔母はとても優しい人でしたので・・・天国で見守ってくれていると思います。  
クラス会は・・・日程が合えば参加の予定です・・・
けむりさま ハローディーンさまにお逢い出来るのを楽しみにしています。
香港の日程とずれると良いですね。
by サリー (2010-06-04 05:27) 

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